"Untitled"  Nov 06, 2004

大雨の中、京都へ向かった。電車を降り、5分も歩かないうち不思議と何故か突然に雨は止み、僕はこの花に残った雫に惹かれて無意識のうち立ち止まっていた。しばらくの対話の後、もういいだろ?と言わんばかりにその大雨は戻ってきた。1/125秒、たったそれだけの時間の1コマ。だが残された現実の1コマは、その一瞬の気持ちを蘇らせてくれる。そして何かを思う長い時間を、小さな1枚がまた与えてくれる。記録と記憶への連鎖。全てを記録することが写真ではない。何かを呼び戻す目次でさえあれば、記憶はネガではなく、自ずから心に焼き付けられるものであろう。
写真はアートではない。それは物語そのものではないだろうか。それをアートと呼ぶならば、もはやそれは写真とは呼ばず、写真イメージを使った別の表現ジャンルなのではないだろうか。

傘をさし直してまた目的へと歩き戻りながら、僕はふと不思議な気持ちを感じていたような気がする。

Comments

「写真は記憶と記録の間にカシャッとおろされた1枚の幕みたいなもの」
かつて、寺山修司がそのように語っていたことを思い出しました。
現象を現象としてとどめるだけの記録が記憶へと変わっていくことは、海鳴りの音や踏み切りの音が
ある人にとっては子守唄となるような、そんな状況に似ているように思います。
1枚の写真を仲立ちに、記録と記憶の光が交錯し...あぁまた理屈っぽくなっちゃいました。
理屈じゃないですね(笑) 印象は理解よりも重要であり、感覚は知性よりも強烈。
/RE: そうなんです、記録が記憶に変わって行く時間が好きなんです。それは鮮明に残す必要はなくて、ただぼんやりと記憶として焼き付けられて行く時間です。そして写真が時と共にどんどん色褪せて行くのと同じように、自分の記憶も曖昧になって行く。僕はそんな残り方をする自然な姿が好きですねぇ。最近思うのは、何かを感じてシャッターを切った1枚の写真、暫くして出来上がったその1枚の写真を見て色々と瞑想するんです。その時に何も呼び起こすものもなく何もイメージされない写真は、例えうまく撮れてたとしても僕にとってはどうでもいい写真なんだなぁと思います。あくまで自分の中でですけどね。最近はそうやって写真をセレクトしているのでやたら時間がかかってます。残る枚数も減った(笑)。素敵な言葉をありがとうございます。寺山修司が数々の写真に添えた言葉たち、僕も好きでした。
Posted by: ホサカマモル on November 8, 2004 11:09 PM
ああ、なんだかさみしくなっちゃった…
うまくいくかな?
/RE: やぁ、まきにゅー!ようやくうまく行ったみたいです。何度もカキコすんませんでしたー。
Posted by: まきにゅ on November 10, 2004 08:00 PM